がいしの歴史

第五章 「超高圧がいし」へ

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戦後の復興・朝鮮特需による電力需要の高まり

1950年~1952年

1 関西で超高圧送電が始まる

水力発電所のイラスト

長期にわたる戦後の不況を経て、朝鮮戦争(1950-1953年)による特需景気の1952年(昭和27)。関西電力により、黒部川水系の電力を関西方面に送電するための富山県新愛本変電所と枚方変電所を結ぶ送電線が超高圧送電圧の275kVで送電されます。超高圧送電の始まりです。

この時期から水力発電所はこれまで開発が難しかった未開発地域での大型水力発電所の開発が行われ、丸山発電所(12.5万kW、1954年)、佐久間発電所(35万kW、1956年)、田子倉発電所(40万kW、1959年)、奥只見発電所(56万kW、1960年)、御母衣発電所(21.5万kW、1961年)、黒四発電所(33.5万kW、1961年)が運転を開始します。

2 地形的な制限のない火力発電へ

火力発電所のイラスト水力発電所の開発が進んで開発の容易な適地がなくなってくると、工業地帯に近い沿岸部では工期の短い火力発電所の建設が進められます。
築上発電所(3.5万kW、1952年)をはじめとして全国で火力発電所が次々と増設され、やがてその規模も大きくなります。

発電事業は大正時代から長く続いた「水主火従」から昭和30年代後半には「火主水従」の時代に移り、超高圧送電網は全国規模で展開されました。

発電所で生まれた電気は、変電所で電圧を調整し、鉄塔、電柱へと送られ、消費者のもとへ送られます。
発電所で発電される電圧が高いほど、それに耐えられる高性能の送電設備が必要になります。

発電所で発電された電気は変電設備、送電設備、変電設備、配電設備を経て消費者に届けられます

そのころ世界では

1952年 エリザベス2世即位

当時25歳のエリザベス女王が即位。翌年1953年に戴冠式が行われました。

イギリスの国旗

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500kVとUHV(1,000kV)

1958年~

1 さらなる電力需要の高まり

大規模な火力発電所さらなる電力需要の高まりに対応するため1958年(昭和33)には400kV級送電専門委員会が設置され、275kV送電の次の超々高圧送電に関する議論が始まり、1966年(昭和41)には500kV設計の東京電力房総線が完成します。
その後、関西、中部、九州、東北、中国、四国の各電力会社で500kV送電網が建設され、現在では、本州と四国、九州は500kV送電線で、本州と北海道は直流送電線で結ばれています。

2 UHV(1,000kV)送電線の建設

500kV送電網が形成される一方で、UHV(1,000kV)送電線の必要性が議論され、1992年(平成4)に1,000kV設計の最初の送電線として西群馬幹線の建設が完了し運転が開始されました。その後、南新潟幹線、東群馬幹線、南いわき幹線が建設されましたが、低成長時代への移行から電力需要の伸びが鈍化したこともあり500kVで運転されています。

3 高電圧を支えるため、より強度が強く、軽い「がいし」が必要に

UHV送電線は当初一相当たり8~12本の電線を使用する方式が考えられており、重着雪、重着氷のある山岳地帯を通過せざるを得ないため、4連の「がいし」装置におさめるには「懸垂がいし」の引張強度として従来の最大強度530kNでは不足し820kN級の「懸垂がいし」が必要となりました。

引張強度820kNの「懸垂がいし」を従来の設計手法に基づいて設計すると、重量が約80kgとなり、運搬、架線工事などの取り扱いが極めて困難となります。

4 開発されたものの使われなかった、
引張強度820kN(キロ・ニュートン)の「懸垂がいし」

日本碍子は、新しい設計手法を適用して小型化、軽量化を追及することにより、重量を約40kgと約半分に抑えることに成功しました。また、引張強度を確保するため、材質や頭部設計にも工夫が凝らされ、振動疲労強度、長期強度、笠部破損後の残留強度、耐アーク性能などについて試験が繰り返され、1978年(昭和53)に世界最大強度の820kN「懸垂がいし」の開発を完了しました。

2016年に日本ガイシが中国で製造した840kN「懸垂がいし」(右側:サイズ比較のA4パンフレット)

しかし、低成長経済への移行によってUHV送電のニーズが先送りされたこと、また1988年(昭和63)にUHV送電線の第1号として着工された東京電力西群馬幹線において、送電線設計の再検討の結果、最終的に一相当たり電線数は新型電線8本に決定。その結果、「懸垂がいし」の引張強度は530kNで対応可能となり820kNの「懸垂がいし」が国内で使用されることはありませんでした。一方、中国ではUHV送電が実用化され、日本ガイシの中国の工場から840kNの「懸垂がいし」が出荷されました。

5 変電所用の高性能「がいし」

試験用設備に据え付けられたUHV(1,000kV)ガスブッシング一方、変電所用機器については、1983年(昭和58)に日本碍子が1,000kVガスブッシング(全長16m、重量18トン)を開発しました。ブッシングの開発に当たっては、課題となる絶縁協調・通電性能のほか、汚損絶縁性能を満足させるため、この1,000kVガスブッシングに使用された全長11.5mの「がい管」で、耐震性能、ガス封入構造に伴う「がい管」破損時の破片飛散抑制などの性能検証試験を実施し、いずれにおいても所期の目標を達成する結果が得られました。

1,000kVガスブッシングは、東京電力の新榛名変電所構内にあるUHV機器試験場に3本据え付けられ、1996年(平成8)開始の実証試験に使用されました。なお、この1,000kVガスブッシングに使用された「がい管」は、世界最大のセラミック構造体として記録されています。

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